チマコッピを目指して

北摂を中心にのんびりサイクリング。まだロードに乗って1年ですが、どっぷりハマってます。

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16年

高校2年の時でした。強烈な揺れで目が覚めて一番最初に思ったのは「東京がえらいことになってる」。関西に大きな地震がくるなんて全く思ってもみなかった。取りあえず学校に行くももちろん休校。家に帰るとテレビでは神戸の被害状況が刻々と伝えられる。段々日が暮れる中、暗闇の中で赤々と燃える神戸の街の映像に恐怖を覚え、大きな余震が来ると危険ということで暖房も付けずに一日過ごしました。

地震発生から2週間後にボランティアとして芦屋市役所に行きました。芦屋に行ったのは阪神電車が動き始め、阪神電車で一番西の方面に行けたのが芦屋だったからです。瓦礫の撤去や救援物資の配給、トイレ掃除、飲料水の運搬などの活動をしてました。市役所や体育館には被災した人でいっぱいでした。配給されるお弁当は冷たくてご飯はカチカチで、風呂になんてもちろん入れないし、避難場所にプライバシーなんてものはありません。でも、電車に乗って大阪の自宅に帰るとそこには暖かい布団に温かいご飯に風呂も入れる。たった40分ほど電車に乗るだけでこの違いは何なんだと思い、次の日から芦屋市役所の廊下で寝て、朝食の配給を手伝った後に高校に行き、家に帰らずまた市役所に戻ってボランティア活動をするという生活を始めました。今から思うと学生の本分も忘れてアホな事をしていたと思いますが、その時はそれが正しいと思って行動していたんでしょう。

ボランティアを通じて色んなことを見てきました。
1月17日が近づくと「あの日を忘れない」というような聞き慣れたフレーズが繰り返されますが、もう忘れてもいいと思います。被災された方達にとっては辛すぎるし、忘れられる訳がない。あのフレーズも結局は対岸の火事なんだと思ってしまいます。

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コメント


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同感です。

良い経験と、優しい観察力ですね。納得しました。
僕は当時臨月の嫁はんと本山南町に居ましたので、
悪い所も良い所も色々経験しました。

ま、自然災害なんですよ。戦争の様に人間の悪意からあんな事が起きたら耐えられない。

でもその後、自然災害ではない、人災みたいな事も一杯起こっています。
だから、そこから得た教訓。

マンションは買うな、借りろ。

伝線 | URL | 2011-01-30(Sun)13:55 [編集]


おはようございます。

伝線さんへ

伝線さんも大変な時に被災されていたのですね。

震災後の人災も沢山目の当たりにしました。

アドバイス、しっかり受け止めました。

ken | URL | 2011-02-04(Fri)07:56 [編集]


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